ブラームス・連弾で聴く交響曲全曲演奏会について
1833年、ドイツの北にある港町ハンブルクで生まれたヨハネス・ブラームス。
ちょうど日本ではこの年に歌川広重が東海道五十三次を描いたとも言われています。
彼は当時ピアニスト、指揮者、作曲家として活動しましたが、作曲家として特にこだわりを持った分野がありました。
それは、オーケストラによって演奏される「交響曲」です。
彼はベートーヴェンを崇拝しており、「交響曲を書きたい」という意欲はあってもベートーヴェンの交響曲という分野における業績に圧倒されていました。
ブラームスが交響曲を書こうと思い立ったのが1855年、そして最初の交響曲を完成させたのが1876年。なんと完成まで21年もかかっているのです。
交響曲のピアノ連弾版
ブラームスはあまり自分に自信がなく、卑屈になることが多かった…という少々面倒くさい性格だったそうですが、このことが実は交響曲のピアノ連弾版と大きく関係しているのです。
ブラームスは当時ピアニストとして活動していました。そう、彼が楽器を弾くならまずピアノだったのです。そんな彼は自信もないのにオーケストラで演奏するような曲を書き、そのまま初演する…なんて恐ろしいことは好みませんでした。まず構想した交響曲をピアノ連弾で書き、友達を集めて彼らの前で演奏することによってフィードバックを得て、それを(たまに)従順に聞き、オーケストレーションをしていました。
ちなみに彼は交響曲だけではなく、弦楽四重奏曲、弦楽五重奏曲、弦楽六重奏曲、ピアノ四重奏曲、ピアノ協奏曲、ドイツレクイエム、セレナーデやその他序曲にも同じことを行なっています。(全て出版されています)
ピアノ連弾作品と産業革命
オーケストラの作品はもともと、一度初演されたらほぼ再演に恵まれることはありませんでした。お金もかかるし、人員も必要ですし…しかしせっかく汗水流して書いた作品なのに一度きりなんて勿体無いですね。
そんな中、世界のとある出来事が希望の光をもたらします。
それは産業革命です。
18世紀後半に始まった産業革命は、音楽界にも影響を与えました。
ピアノが大量生産されるようになったのです。
それまでは枠組みに金属が使われず、全て木製で製造されていましたが、金属を用いることによって、枠組みの形をした型に金属を流し込んで鋳造し、手間が省けたのです。
その結果、ピアノの価格は下がり、庶民にも手が届く楽器となったのです。
一度きりしか演奏されないようなオーケストラの作品を、ぜひいろんな人たちに弾いてもらいたい、聴いてもらいたい…
そんな想いから、オーケストラ作品がピアノのみで演奏できるピアノ連弾版へ編曲することが流行しました。
これがオーケストラ作品が連弾で書かれたもう一つの要因となったのです。
しかし前述の通り、ブラームスの交響曲のピアノ連弾版はただの編曲作品ではなく、ある意味で実用的で、演奏されることを目的として作曲されているのです。あまり演奏機会の少ないブラームスの交響曲のピアノ連弾版ですが、ピアノ連弾作品としての魅力も多く持っています。
友人と自宅で交響曲を連弾で楽しみたい!という方には、ヘンレ社から交響曲全曲の連弾版が出版されています(蛇足ですが、運指と校訂は現在師事している先生が行なっています)
https://www.academia-music.com/shopdetail/000000148767
今回のプロジェクトについて
ブラームスは、交響曲だけではなく、様々な編成の作品を書くなど、室内楽作品にも大変力を入れました。交響曲は、その室内楽作品とも深い関わりを持っています。
今回のプロジェクトは、交響曲をピアノ連弾で室内楽のコンサートとして演奏することにより、それまでとは違った見方で交響曲を楽しむ、というのが目的です。
第1回の演奏会では、交響曲第1番と繋がりのある3作品も一緒にお届けいたします。
(リンクは解説です)
ブラームス: シューマンの主題による変奏曲 変ホ長調 作品23
ブラームス: ピアノ三重奏曲第1番 ロ長調 作品8 (1891年版)
シューマン: ピアノ四重奏曲 変ホ長調 作品47
ブラームス: 交響曲第1番 ハ短調 作品68 (ピアノ連弾版)
ピアノ連弾でご一緒させていただくのは、ザルツブルク・モーツァルテウム大学で同じ教授に学ぶ、江沢茂敏さんです。

なかなか演奏機会のない作品です。ぜひ足を運んでいただき、ブラームスの世界を堪能してください!
©︎2018 Shun Oi